出(イ)でよ、日本語を話す若き研究者

日本軍は、終戦の3日前に原爆実験を成功させた。
楢崎皐月や、神坂新太郎もその研究メンバーだったのではないか。

生物内原子転換を説いていた、マクロビオテックの桜沢如一は、楢崎に共同研究の依頼をしていたが、実現は出来なかった。
生体内原子転換 (常温核融合)が、実現化すれば、放射能廃棄物の安全な処理も可能になるだろうし、フリーエネルギーの開発も可能になるだろう。


日本の原子爆弾実験の事実を翻訳公開した、
矢野義昭 元陸将補講話を聞いた方の
感想文 (DIRECT出版より転載)


日本は戦後の占領政策によりそれまでの記憶を放棄したり、あるいは深く反省するべき 過去のこととして位置付けるようになりました。
その日本人にとって、わが国が終戦前に「核実験」を行っていたらしいという話は衝撃的 であることは言うまでもありません。
日本は唯一の被爆国だということが、いわばアイデンティティーになっていると言える ことからすれば、核兵器の「製造国」となるということに耐え難い思いを抱く人も多いこと でしょう。
しかし、もし当時、核開発が終了し兵器として使用できるまで完成されていたなら、日本 に原爆を投下されることはなかった可能性が高く、日本人はこの「核抑止」の概念をしっか り知らなければならないと改めて強く感じました。
矢野さんは米国のジャーナリストであるロバート・ウィルコックス氏の著書『成功してい た日本の原爆実験』を翻訳し、また自ら多くの一次資料を研究し、秘められた日本の核開発 成功の歴史を明らかにされています。
そして、米国のみならず、ソ連、中国が日本のこの能力を徹底的に潰したことも分かった といいます。関係した科学者たちは軒並み拉致され、また拷問を受けて研究成果を奪われ、 これが北朝鮮の核開発にも継承されているとのこと。台湾も秘密裡に核開発を行っていて、 ここにも日本の技術が関係しているというのも驚かされました。
この延⻑で、戦後日本の非核・反核の大きなうねりも、日本に核を持たせないための工作 が今なお影響していると言え、この点こそ今、私たちは自覚する必要があるでしょう。
振り返れば1970年代、ソ連が射程約5000キロの核ミサイル SS20の配備を開始 し、米国本土は射程に入ることになりました。米国の拡大抑止に頼っていた⻄側諸国には 「米の核の傘だけで大丈夫なのか」という思いが湧き上がることになります。
これは当然で、米国⺠を犠牲にしてまで欧州諸国を守るということは現実的ではないか らです。
そこで、米国はNATO側に同様の中距離ミサイル「パーシングII」を配備します。これ
により、欧州とソ連が核ミサイルの打ち合いになっても、米国だけは生き残る構図が出来上 がり、ゴルバチョフ氏が相互軍縮を提案することになります。こうして冷戦は終わりました。
私自身は、現在日本の政治体制その他の要因により、わが国の核武装はかなりハードルが 高いと考えますが、冷戦終了時のように軍拡が軍縮を導き、結果的に平和を生み出した歴史 を日本人は真摯に捉えるべきでしょう。
少なくとも「反対!反対!」の運動に終始しない真っ当な議論が行われることが「真の平 和」への第一歩ではないかと思います。
(了)

カタカムナウタヒ 80首

アトランティスやムーの高度な意識文明を引き継いだと言われる、中等生命体が築いたサトリの科学書。 すべてはフラクタルなひとつの仕組み(現象-あるもの&潜象-ないもの)の対発生で出来ている。 ゼロポイントフィールド状態の無限量(カタ)から独立して離れたカムは変化し渦をまくカムナとなり、現象界のアマを産みアマナを生ずる。 カムナとアマナの対発生によって万物の命が生じる。星も宇宙もみな生命体。

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